「100分de名著『資本論』」第1回放送分から(21/01/04)
Eテレ「100分de名著」の1月分の放送が、月曜の22:25から開始された。今回取り上げられる名著は、カール・マルクス(1818~1883年)の大著『資本論』(1867年、第1部刊)。ナビゲーターは、斎藤幸平さん(1987年~)。『人新世の「資本論」』(2020年)が話題となっている。
今年のオンライン読書会は、いっそのこと「100分de名著」に貼り付いて、取り上げられる12冊について、解説テキストを全て読んでしまおうとしている。今回は、数回にわたってTwitterでお知らせをしたあと、LINEのオープンチャット経由でZoomへの参加URLを配信するという段取りをとってみた。23時開始との指定にも関わらず、女性1名・男性1名がご参加くださった。
始めにご質問があったので、そもそも「読書会」って、どんなことをどんな風にするのかということから説明させていただいた。
その参加者さんは、すでに『人新世の「資本論」』を読了されていることもあって、放送分がカバーしていた以上の内容についても言及してくださった。
以下、発言内容について。すでに、誰がした発言なのかはわからなくなってしまっていることをお許し願いたい。
①「富」と「商品」の違い
②「使用価値」と「価値」の違い
③資本主義は「外部」を必然とすること
④テーブルのダンス
この辺りが、主な発言内容だったと記憶している。
①と②について
この2つずつが「異なる」ということがわかっただけでも、今回の放送を見た甲斐があったように思う。とはいえ、この基本的な用語を、簡単に説明しようとすることは難しい。
富 → 空気、水、緑、図書館、携帯電話、食料品等々の有用性のあるもの、
商品 → ハンバーガー、パソコン、雑誌等々、有用性の有無に関わらず、お金で買えるもの全般、
などとして例示しておきたい。極めて乱暴で、あいまいな、場合によってはまちがった「解釈」かもしれないが、ご容赦願いたい。
そして、資本主義経済(資本主義社会、でもいいかな?)の特性としては、「富」が「商品」という形で現れてくる、ということがある。
ここで男性の参加者さんから、「商品は、『富』の一部分なんでしょうか?」とのご発言があったが、うまく答えが出せなかった。
次に、「使用価値」と「価値」についてであるが、並べると「価値」の方が上位概念のように思われたのだが、話はどうも逆のようだとの印象を受けた。
例えばテーブルの場合、その上で食事や読み書きをする、場合によっては横になって眠る、というような、いわば有用性、実用性といった、本来的な効用(でいいのかな?)が「使用価値」である。
一方、「価値」とはブランド感などの後づけの、言ってみれば市場で交換されるようになった時の、いわば付加価値のことなのではないかと、ぶっちゃけ思っている。繰り返すようだが、違っていたら申し訳ない。
まとめようとすると、
資本主義経済(ないし社会)においては、商品へと全面的に変質させられた富は、使用価値よりも、価値が優先的に評価されるようになる。
ということになりそうなんですが、どすか?
③資本主義が「外部」を必然とすることについては、番組では直接言及されていないが、派生的に話題となった。あるシステム「内」の循環で完結するのではなく、例えば廃棄物を海外に「押し付け」るようなことが、資本主義では必然とされるということを話し合った。
④テーブルのダンスについては、価値の転倒、主客の転倒といった印象はあるのだが、よくわかっていないので、言及があったとの報告のみにとどめておく。
以上、約40分ではあったが、楽しく過ごすことができました。ご参加くださったお二方には、心から御礼申し上げます。